今回の首長インタビューは、福島県須賀川市の橋本克也市長。

須賀川市は『ウルトラマン』を生み出した円谷英二さんや『おくのほそ道』の松尾芭蕉が滞在したまちであるなど、とても魅力に溢れたまちです。

他にも県内最大級のマルシェの開催、市民と協働で施設を作り上げるなど、市民の皆様を大切にしたまちづくりを進めています。

須賀川市の魅力や、将来の展望について橋本市長にお聞きしました!

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菅野永  HISASHI KANNO

東北大学農学部卒。地方銀行、公務員を経てMAKOTOへ参画。二輪レースで大怪我をした経験から、「残りの人生かけて大きな挑戦がしたい」という思いが芽生え、ベンチャーの世界へ。福祉系ベンチャー企業への出向も経験し、会計・オペレーション改善・販売促進・組織構築など現場での幅広い経験を持つ。 2018年7月にMAKOTO グループ化に伴い、MAKOTO WILL代表取締役就任。

 

これからは市民との協働が大切。行政だけではなく、市民の力を活かす。

私はこの須賀川市で生まれ、須賀川市で育ちました。父も県会議員をしていましたが、若くして亡くなってしまい、応援してくださっていた方からも多くの声を頂きました。その声に応えたいと思い、31歳から県会議員をはじめました。

 

県会議員を務めながら、広域的な視点で地元を見つめていると、他の自治体と同じく高齢化により財政が厳しくなっていることがわかりました。「これまで通りの市民サービスを続けるにはどうしたらいいだろうか。人口減少と高齢化が進む中では、行政だけで物事を進めていくことは難しい。市民の皆様と協働で進めることが大事だ。」そう考えた私は『市民との協働』を掲げ、当選することができ、まちづくりをはじめました。

 

当選して2年半が経った頃、東日本大震災が起こり、復旧復興に取り組みました。とても厳しい状況だったので、行政だけではなく、市民と協働でやらないといけないと考え、協働での復興をはじめました。立候補時に掲げた『協働』が、奇しくも東日本大震災によって実現しました。

 

俳句の文化と特撮の文化。須賀川市の誇るべきものを打ち出したい。

私は他県も含め、各地を視察してきましたが、そこで気付いたのは『須賀川市は大変恵まれたまち』だということ。須賀川市は江戸時代から町人の自治が認められた大変古いまちで、文化的な質も高く、伝統もあるまちです。しかし残念ながら、その良さを十分にいかせていないとも感じていました。

 

須賀川市は、松尾芭蕉が『おくのほそ道』を執筆する際に県内で一番長く滞在したまちでもあります。俳句の文化もあり、偉大な先人が何人もいるのも誇るべき点です。他にも円谷英二さんの生まれも須賀川市であり、特撮という日本の誇るべき文化を生み出すという偉業を成し遂げました。その偉大な文化を守るべく『円谷英二ミュージアム』を新たに整備しました。このように俳句の文化、特撮の文化など須賀川市だからこそあるものを全面に打ち出していきたいと思います。こうした取り組みにより、他の資源や宝物に触れてもらうチャンスも広がり、須賀川市の良さを知ってもらうことができると考えています。

 

大切なことは市民との協働体制。始まりからその後まで、ともに作り上げる。

東日本大震災後に、市役所庁舎を建て替えました。市役所庁舎は公用施設ですが、市民の皆様が使えるようにして市民協働を推進しようと考え、年末年始を除き、庁舎の一部を貸し出しました。市民ホールなどは土日も開けています。すると、中高生が勉強をしに来る場所として定着するなど、予想もしていない結果を生み出すことができました。

 

他にも、市民文化復興のシンボルである市民交流センター『tette』や俳句をはじめとする和文化の発信拠点として『風流のはじめ館』を震災後に建設しました。そうしたものは通常、国の支援を受けながら行政が計画するものです。しかし須賀川市では、市民の皆様にもワークショップという形で計画構想段階から関わっていただこうと考えました。

 

公共施設は市民のためのものであって、市民の皆様が「自分たちのものだ」と思うかどうかで利用価値も変わると考えていたので、10回以上参加していただき議論しました。建設までではなく、完成後の使い方まで考えていただくようにしました。議論をすると、あれもこれもと意見は出ますが、予算は決まっています。だからこそ「本当に必要なものはなにか」を共に考えました。

 

こうした取り組みにより、市民の皆様も自分事として捉えることができ、まさに「市民協働」だと思いました。箱物行政だと言われることもありますが、必要なものも多くあります。施設を使うのは市民の皆様。だからこそ自分事として捉えていただくこと、そしてそのために行政は努力して、市民とともにつくっていく必要があると考えています。行政がすべてを決めてしまえば楽かもしれませんが、それではいいものになるとは限りません。あくまでも市民の皆様が価値を認めるものでなくてはなりませんし、活用してこそ価値が生まれます。この点を一番重視して取り組むことが大切だと考えています。

 

自分たちのまちを、他からの評価で知る。外部からの評価を自信につなげる。

私自身、特別優れた能力を持っているとは思っていませんが、須賀川市のために働かせていただくことができたのでこの場に座ることができています。特に意識しているのは、優れた職員を最大限に活かすこと。そしてその能力をより伸ばすことができる環境を作ることです。

 

他にも職員も市民にオープンであるべきだと考えており、市民の声が届きやすい行政でなくてはならないと思います。ただし受けるばかりではなく、発信していくことも大切です。須賀川市は「選ばれるまち須賀川」を掲げています。選ばれるというと受け身に聞こえがちですが、待っているだけでは先に進みません。選ばれるためにはなにをすべきかを考え、行動するのかを考えなくてはなりません。住む人、働く人、訪れる人に選ばれてこそのまちなので、あらゆる人に選ばれるまちを目指しています。

 

須賀川市には選ばれるための価値はたくさんあります。選ばれるまちの実現のために、シティプロモーションへの取り組みもはじめました。まずは市民の皆様に、自分たちの住んでいるまちがどのようなところかを知ってもらう必要があります。他の方から見て、どのような評価されているかがわかってこそ、自信や誇りを得ることができます。だからこそ、外部の目に触れる機会を増やしていきたいと思います。

 

県内最大級のマルシェ。さまざまな取り組みから、住みやすいまちをつくる。

現在、須賀川市は中心市街地の空洞化や空き店舗が増えたことによるシャッター街化が進んでいます。そのような中、東日本大震災後、若者たちが自主的に『Rojima』というマルシェをはじめました。これは月に1回第二日曜日に開催されるもので、最大100店舗が軒を連ねます。来場者も3000人ほどになり、県内最大級のマルシェになっています。この取り組みにより、創業支援を活用する方や、空き店舗を活用し開業する方も出てきました。人の流れができると、商売もできる。この流れができたのがとても素晴らしいことだと感じています。

 

移住や定住など、人口増加のための取り組みも進めていきますが、単純に移住・定住を進めるのではなく、市民の皆様が自身を持って「住みやすいまちだ」と言えるようにしていきたいと思っています。

 

東日本大震災やコロナウイルス感染症など、甚大な被害をもたらす出来事は多くありました。しかしそれをマイナスに捉えるのではなく、そこからなにかを得て、次につなげていきたい。そして成果を今までよりも早く出すこと。そのためにもいままでのまちづくりを進めながら、多くのチャレンジをしていきたいと思います。

 

 

市民の皆様と協働でまちづくりをし、本当に価値のあるまちづくりを目指す橋本市長。

市民の皆様のことを第一に考えるからこそ、多くの議論を重ね、将来をしっかりと考えてまちづくりを進める姿勢がとても魅力でした。

貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました!

 

 

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監修 佐藤春乃 HARUNO SATO

国際教養大学国際教養学部在学。グローバル・スタディス課程で、環境学・社会学の領域を履修中。2020年9月にMAKOTOグループにインターンとして参画。広報等の業務に従事。

 

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