今回の首長インタビューは、山形県米沢市の中川勝市長。

米沢市は米沢牛やりんごなどの食べ物のほか、上杉鷹山を輩出したまちとしても有名です。
そして市民の方との協力体制を大切に、魅力あるまちづくりをおこなっています。

米沢市の魅力や、将来の展望について中川市長にお聞きしました!

hisashi_kanno菅野永  HISASHI KANNO

東北大学農学部卒。地方銀行、公務員を経てMAKOTOへ参画。二輪レースで大怪我をした経験から、「残りの人生かけて大きな挑戦がしたい」という思いが芽生え、ベンチャーの世界へ。福祉系ベンチャー企業への出向も経験し、会計・オペレーション改善・販売促進・組織構築など現場での幅広い経験を持つ。 2018年7月にMAKOTO グループ化に伴い、MAKOTO WILL代表取締役就任。

 

子どもたちが残りたくなるまちへ。今あるものを大切に市を立て直す。

私の実家は床屋を営んでおりましたので、私は将来家業の跡取りになるだろうと漠然と考えておりました。一方で、米沢市は歴史のあるまちで、むかしから文化や政治についての話もいろいろと耳にしていたことを覚えています。
大人になった私は、人と人との繋がりから政治に関する手伝いをするようにもなっていました。そんなある日、「市議会議員に立候補してみないか?」と声がけをいただき、立候補を決め、当選。当時32歳だった私には、子どもが二人おり、その秋には3人目が生まれるタイミングでした。

その後「子どもたちに将来米沢市に残ってほしい」と考えた私は、米沢に残ってもらえるまちづくりを進めたいと考え、市長選にも出馬し、現在に至ります。米沢市は人口減少による小中学校の統廃合、大きな病院の建設など、財政再建も踏まえ、いくつもの課題を抱えています。
私は「住民のために行政はある」と考えていますし、選んでくださった皆様のためにも約束したことは守らなければならないと考えています。米沢市はもちろん、どのようなまちにも良いものはありますし、無いものもあります。だからこそ、今あるものを大切に市を立て直す必要があります。
これまでふるさと納税にも工夫を凝らし、財源確保にも見通しをつけることができました。

 

働く場所の確保。そして心が通い合うまちづくりへ。

子どもたちに米沢市に残ってもらうためには、働く場所がなければどうにもなりません。若い人たちは都会の魅力やあこがれから、外に働きに出てしまいます。
しかし米沢市にも歴史と文化があり、県内でも有数の魅力あるまちであることは確かです。そこで、高速道路が開通したことに合わせ、ストック効果を活して企業誘致をおこないました。結果、10社ほどの企業様に来ていただくことができました。何もかもすべてを米沢市で完結するというのは難しいですが、これからどうしていくのかを見据えて動いていかなくてはなりません。

そして「米沢市に生まれてよかったな」と感じられるような、心が通い合うまちづくりをしていきたいと考えています。そのためには住民の皆様との協力も大切になります。まちづくりは行政だけでおこなうものではなく、民間企業、そして住民の皆様と共同で考えていくことが大切だからです。

 

健康長寿日本一のまちへ。まずは食生活の見直しを。

子どもを含め、若い世代への対策も大切ですが、同様に高齢者についてもしっかりと考えていかなくてはなりません。少子高齢化の流れはこれからも避けては通れず、必須の解決課題です。そこで米沢市では、高齢者が元気に生活できる環境づくりを進め、健康長寿日本一を目指します。具体的には社会の一員として、何かの仕事に携わっていただいたり、地域活動で活躍していただいたりすることで、いつまでも元気に暮らせるまちづくりを進めます。

まずは食事の減塩をすること。米沢市は内陸地のため、新鮮な魚が手に入らず、塩漬けを食べる機会が多くありました。それに漬物も美味しい。そのために塩辛いものが食卓にあがる機会が多く、脳卒中や高血圧の原因になっていました。それらを避けるため、食事を減塩にしていく。

この活動の支援をするためにも管理栄養士を輩出するための栄養学を学ぶ大学を設立しました。こうした活動の効果もあり、これまで県内最低だった特定検診受診率も少しずつ上ってきています。悪くなる前に治し、健康で長生きできる生活を推進していきたいと思います。

これから米沢市は、市自体をブランド化していきたいと考えています。どういうことかというと、これからのものづくりというものは、いかに付加価値をつけていくのかが重要になります。そのために、「ヒト」「モノ」「コト」それぞれを磨いていき、それぞれをブランド化します。その結果、米沢市全体をブランド化することが可能になります。大切なことは、住民の皆様との協力関係です。

今後これまで以上にその意識を高めていきたいと考えており、皆様の要望にお応えできる行政で在りたいと考えています。一番大切だと考えていることは、市民の皆様が元気で明るく暮らすこと。資源はあるのでそれをいかに使いこなして、どう生かしていくか、それこそが地方創生だと感じています。

 

これからの米沢市。若い世代との協力やコロナ禍への対応について。

市長に就任したとき、私は65歳だったので、20〜30代の方とは考え方もギャップが在りすぎるのではないかと思いました。米沢市のこれからを担うのは、若い世代ですし、自分たちとは違う考え方も持っています。これまでは若い人の話を聞いて、支援するところがなかったので、それを具現化するために「ヤングチャレンジ特命課」事業を開始しました。
若い人たちの思いを受け止めたいと思っていますので、米沢市の課題や、自分たちがどのようなまちにしていきたいのかを10人程度のメンバーで話す機会も作りました。自分たちがこれからこの地域で暮らしていくという中で、このような場を経験することで、何をしなくてはいけないかを考えるきっかけにもなりますし、人と人との繋がりも作ることができます。それだけではなく、私達が気づいていないような課題にも気付くことができると考えているので、これからも行政だけではなく、住民の皆様と協力体制を大切に進めていきたいと思います。

今はコロナ禍にあり、大変な状況ですが、今後について一層考えを深めていかなければなりません。特に移住や定住に関すること、そしてテレワークは喫緊の課題です。コロナウイルスによりダメージを受ける業種がある中、プラスになっているところもあります。つまり必ずチャンスが有るということ。この状況をどう捉えて、どう取り組んでいくのかをしっかりと考えて行く必要があります。

そこでまずは米沢のPRをするための情報発信として、これまでのTwitterに加え、YouTubeチャンネルも開設することとしました。これにより、多くの方に観光に来ていただいたり、ふるさと納税につなげたいと考えています。そして最終的には「いずれはここに住みたい」と思っていただけることを目的にしています。今あるものを活かしたブランド戦略を構築し、時代が追い求めるものを住民の皆様に提供していく。そうしたまちづくりを進めていきます。

 

上杉鷹山の考えを今に活かす。共存共栄の米沢市へ。

米沢市というと、上杉鷹山を思い浮かべる方も多いと思います。上杉鷹山といえば倹約ばかりが注目されますが、実際にはそれだけではなく、蚕糸を生産し、それを織物にすることで利益を生み出しました。
鷹山の思想を支えていた考えに「学思行、相まって良となす」というものがあります。これは「学んだことをよく考えて行動することで、初めて良いものができる」というもので、実践する大切さを述べています。いくら難しく思えることでも、まずはやってみること。それこそが「為せば成る」だと思います。鷹山の考えの実践に少しでも近づこうという想いを持ち、今後のまちづくりを進めていきたいと思います。

そして今後はオープンイノベーションを進め、大学や企業と連携し、ものづくりや観光を進めていきます。米沢市ならではのことを進め、競争ではなく、共存共栄のまちを目指して進んでいきます。

住民の方との協力体制を大切にしながら、未来のまちづくりを進めていく中川市長。

コロナウイルスや少子化などの困難にも負けず、将来を見据えた考えと行動力がとても魅力でした。

貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました!

 

 

【酒田市長インタビュー】デジタル化を推進し、利便性の良いまちへ。さまざまな仕掛けで、酒田市を盛り上げる。  ← |

|→ 【新庄市長インタビュー】食やまつりを通じ、魅力のあるまちづくりを

その他の記事を読む 

 

監修 島越彩香 SAYAKA SHIMAKOSHI
宮城大学在学中に、一般社団法人MAKOTOでのインターンを経験。
2019年5月より、MAKOTO WILLに参画。PR・マーケティングチーム、アシスタント業務に従事。

 

自治体と共に地方から日本をおもしろく