今回の首長インタビューは、宮城県石巻市の亀山紘市長。

地方分権時代、超高齢化社会に加え、東日本大震災など、数々の変化を経験した石巻市長は、「地域自治システム」や「石巻圏域定住自立圏構想」、「SDGs未来都市」並びに「自治体SDGsモデル事業」など、将来を見据えたまちづくりを進めようと動いています。

そんな亀山紘市長の持つ、市政への想いや将来の展望についてお聞きしました!

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菅野永  HISASHI KANNO

東北大学農学部卒。地方銀行、公務員を経てMAKOTOへ参画。二輪レースで大怪我をした経験から、「残りの人生かけて大きな挑戦がしたい」という思いが芽生え、ベンチャーの世界へ。福祉系ベンチャー企業への出向も経験し、会計・オペレーション改善・販売促進・組織構築など現場での幅広い経験を持つ。 2018年7月にMAKOTO グループ化に伴い、MAKOTO WILL代表取締役就任。

 

教育の現場から、市長の道へ

生まれてから高校卒業までを石巻市で過ごし、大学卒業ののち宮城県に戻り、東北大学の文部技官として働きました。その後、工学博士を取得し、東北大学工学部の講師、石巻専修大学の助教授、教授と、教育現場で20年間働きました。

石巻専修大学では大学開放センター長を務めていたこともあり、10年近く市民のみなさまや企業・行政の方とまちづくりについて話し合う機会があったので、石巻のビジョンについて想いを持っていました。

66歳のとき、「石巻市の首長としてまちづくりに貢献したい」という想いを持ち市長選に立候補、当選することが出来ました。

市長に就任した当時、日本は「地方分権時代」と言われており、地方の多様で複雑な課題に対して、自分たち現場の人間がどのように取り組んでいくかが重要と考えられていました。

そこで私は、「市民のみなさまが行政と同じ目線でまちづくりを出来るようにしたい」という想いのもと、地域自治システムの構築、市民と協働のまちづくりの推進、石巻圏域定住自立圏構想の立ち上げなど、様々な角度から課題の解決に向けて取り組んでまいりました。

 

しかし東日本大震災により、状況は一変しました。多くの市民の生命と財産が一瞬にして奪われた、あの悲惨な光景を目の当たりにしたとき、その思いをふるさと石巻の復興へと一新し、この10年間、被災された市民のみなさまに寄り添い、ときに向き合い、一心不乱にこの課題に取り組みました。

復旧・復興事業として、将来二度と津波犠牲者を出さないまちづくりを進めるために、危険区域の設定、高台への移転、防潮堤や嵩盛土道路整備などを推進しました。しかし、危険区域を設定することにより、多くの方々がこれまで住まわれていた地域外への移動を余儀なくされました。これが、人口減少に拍車をかけた要因であり、人口減少社会を見据えた地域自治の仕組みづくり、すなわち市民と協働のまちづくり「地域自治システム」は、重要になってくると考えています。

石巻圏域定住自立圏構想については先送りせざるを得なかったのですが、地域自治システムの構築については、ゆっくりとですが着実に取り組み続けています。

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東日本大震災と、「風の人」を受け入れる文化

東日本大震災発災直後は、国内外の多くのボランティアの方々に助けていただきました。間もなく10年を迎える令和3年度は、これまでの御支援に感謝を伝え、石巻の今を伝える時期だと考えています。

震災後、市外や県外から来てくれた若い方々の中には、復旧・復興が進んだ今でも石巻に残り、まちづくりを進めてくれている方もいます。このような「風の人」たちは、自由な発想で、地域をどうするか考えてくれる、市として大切にしていきたい存在です。

石巻市民のみなさんはボランティアの方々を受け入れ、ボランティアの方々がそれに応えてくれました。市民のみなさまは、ボランティアの方々に対して深い感謝の気持ちを持っています。

この震災を通して育まれた「風の人」を受け入れる文化は変わらないでほしいと願います。

2017年に初めて開催された、たくさんの出会いを生み出し地域復興や振興につなげることを目指す総合芸術祭「Reborn-Art Festival」もこの姿勢があったからこそ開催につながったのだと思っています。

 

未来に残したい文化、「かわ」と「まち」がつながる生活

石巻の文化のなかで一番大事だと考えているのは、北上川を活かした生活です。

石巻は、江戸時代には川湊(かわみなと)として栄えた地域であり、人々は川を見て、海を見て暮らしてきました。この密接なつながりがあったため、石巻地域の北上川には堤防を設けず、常に津波災害や大雨による災害と向き合ってきました。

私は震災前に「水辺の緑のプロムナード構想」を掲げ、北上川の無堤防地域に堤防を整備し、市民のみなさまを守りたいと考えていました。単に堤防を築いて河川と市民を断絶させるのではなく、川と人とがより近づけるように、にぎわいと憩いの場にしようと考えています。

震災後の見直しも経て、この「かわまちづくり」計画は現在進行しているところです。

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産学官金連携で、SDGsの達成と超高齢化社会への順応に取り組む

超高齢化社会を迎える未来の石巻にとって、「産学官金連携」が非常に重要な役割を果たすだろうと考えています。事業の成果だけを追い求めるのではなく、将来を見据えて話し合い、意見交換をしていくというプロセスにこそ、本質的な意味があると思います。

現在、石巻市が取り組むSDGsの事業においても、地域の企業との連携は重要だと考えています。石巻市は2020年7月に「SDGs未来都市」並びに「自治体SDGsモデル事業」に選定され、新しい産業を育成し、低炭素社会・循環型社会を創り出していこうとしています。

具体的にはハイブリッド車の部品を回収して新たな電気自動車をつくり、地域の高齢者の移動手段として利用していこうと考えています。

震災から10年が経ち、高齢化率は上昇しており、これから数年で車を運転できなくなる方も増加していきます。そこで、石巻では地域で車をシェアして支え合う仕組みづくり(コミュニティ・カーシェアリング)を推進する「一般社団法人日本カーシェアリング協会」と連携をとりながら、高齢者の方々が移動手段として電気自動車を利用でき、いつまでも元気に外出して人とコミュニケーションがとれるようなまちを創っていきたいと考えています。このように、多くの企業と連携を取りながら、持続可能な社会を実現していきたいと思います。

 

今後の石巻市職員に向けて。「柔軟に、地域のなかで、壁を飛び越えた対応を」

これまで10年にわたり、震災からの復旧・復興に取り組んできましたが、時には市民のみなさまからお叱りのお言葉をいただきながらも、石巻市職員のみなさんの協力もあり、おかげさまでここまで頑張ることが出来ました。

大震災からの復旧・復興は、過去の規範に則って対応をすることが出来ない経験でありました。多くの方を救済するには柔軟な意思決定が必要であり、場合によっては十分な情報がないなかで、冷静な判断力と、行政組織の一丸となった行動が必要でした。

この経験を積んだ石巻市職員のみなさんが、今後退職されていくと思いますが、震災時の状況を未来の職員に伝えていくことが大事だと思います。

これからの石巻市職員のみなさんは、地域のなかで、市民のみなさまとの対話を通じ、一緒に課題を解決していく姿勢が重要になってくると思います。さらに、市民のみなさまの期待に応えていくには横断的な取組が必要だと考えています。いわゆる行政の縦割りにとらわれず、いかに壁を飛び越えて横断的に対応していくかが求められているのではないでしょうか。

地域に入り柔軟な対応をすることを心掛け、地域の活性化にしっかりと取り組んでいってほしいと思います。

 

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東日本大震災の復旧・復興に向けて尽力した亀山市長。市民はもちろん、「風の人」や民間企業・団体とも連携してまちづくりを進めていく姿勢に、石巻市長としての使命に対する真剣さが伝わってきました。

 

「地域自治システム」、「石巻圏域定住自立圏構想」、「Reborn-Art Festival」、「SDGs未来都市」、「コミュニティ・カーシェアリング」等々、様々な施策を練られており、石巻市の今後に注目したくなるインタビューとなりました。

 

貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました!

 

 

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監修 佐藤春乃 HARUNO SATO

国際教養大学国際教養学部在学。グローバル・スタディス課程で、環境学・社会学の領域を履修中。2020年9月にMAKOTOグループにインターンとして参画。広報等の業務に従事。

 

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