首長インタビュー第8弾は宮城県岩沼市にお伺いしました。

動物や特産品の形ではなく、工業団地で働く真面目なサラリーマンをモチーフにしたマスコットキャラクター「岩沼係長」が印象的な岩沼市。

副市長に就任した年に震災を経験し、そこから市長に就任して復興へ力を注いできた菊地啓夫市長。

どのような想いを持って執務にあたっているのでしょうか?

インタビューの模様をたっぷりとお届けします!

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菅野永  HISASHI KANNO

東北大学農学部卒。地方銀行、公務員を経てMAKOTOへ参画。二輪レースで大怪我をした経験から、「残りの人生かけて大きな挑戦がしたい」という思いが芽生え、ベンチャーの世界へ。福祉系ベンチャー企業への出向も経験し、会計・オペレーション改善・販売促進・組織構築など現場での幅広い経験を持つ。 2018年7月にMAKOTO グループ化に伴い、MAKOTO WILL代表取締役就任。

 

 

復興へ歩む中で市長に就任した想い

市役所職員を38年間勤め、2011年の1月に副市長に就任。直後に東日本大震災が発生し、そこからずっと復興に身を捧げてきたという菊地市長。

どのような想いで市長に立候補したのでしょうか?

「私は被災地の東部の出身です。副市長になって間もない頃から、被災の状況を見てこれは大変だ、何とか立て直したいという思いを持ち、副市長として一所懸命働いてきました。

当時は前井口市長と一緒にやってきましたが、震災からの復興はやはり大変だったので相当疲れておられた。私も支えてきましたが、前井口市長よりも若かったこともあり、「後任をやってほしい」と頼まれました。

正直なところ悩みましたが、震災の被災者を置いて二人で辞めるということは今までやってきたことが水の泡になってしまう。それだけは避けたいという想いで、市長に立候補しました。」

 

被災者の自立と心のケア

現在は落ち着きを取り戻しつつある被災地。震災時、南アフリカから支援をもらった恩返しに、今度は南アフリカのラグビーの試合に被災者の応援部隊を出すことが決まっているといいます。

その他にも、来年5月に開催されるオリンピックの文化事業「NIPPONフェスティバル」やオリンピックでの聖火ランナーなど、岩沼の被災地を舞台にしたイベントが目白押しです。

「震災から8年5ヶ月経ち、被災者が自立するためには自分で考えて参加するということが大事だと思っています。だから“オリンピックに応援に行く”という目標が必要なんです。

命令で人は動かないので、ある程度楽しみを交えながら、「面白そうだな、行ってみようか」と自発的な行動につなげたいと思っています。

そうすることで、震災から少し気持ちが離れると思うんです。」

また、被災者の心のケアは、オリンピック以外にもあるといいます。

「元々東部の人達は農家が多く、米や野菜を作って自給自足的な生活をしているという側面もあったわけです。

ところが津波で畑も皆流されてしまいました。元居たところは全部市が買い取ってしまったため畑が無いんですよね。

 そこで今、障害を持った方々が野菜づくりや販売をしているので、被災者の方々がアドバイスして一緒に野菜をつくる体制を整えました。

誰かに頼られることが生き甲斐になりますから、それが心のケアにつながると考えています。このように、我々で色々仕掛けを考えているんです。」

 

市民の声が反映されるまちへ

岩沼市では、市民が市長宛に手紙を送ることができる「市長への手紙」という取り組みや、毎年の地区懇談会の開催など、住民の声を積極的に聞く機会を設けています。

どのような狙いがあるのか、市長に伺いました。

町をつくるのはやっぱり市民。市民の意向が反映されない町は良くないだろうと考えています。

毎年4~5月に地区懇談会やらせてもらうんですよね。

「今年はこういう取り組みをしますよ」という説明をした上で、町内会や自治会からの要望も出てきます。そのやり取りを大切にしたいんです。

とはいえ、色々な意見をいただきます。

道路をもっと伸ばしてくれ、ショッピングモールを作ってくれなど。

もちろん、100%意見を聞くわけにもいかないので、税金を使うのに相応しい事業なのか、本当に必要なのか、本当に効果が出るのか。それを私なりに判断をさせてもらって、実現するというやり方で進めています。

やはりそこが原点ですね。

そういった市長の手紙や懇談会を開くのは目的ではなく手段だというところに行き着くんです。役所を残すことが目的でもないし、市民の役に立たないとダメだと。基本的にはそう思ってます。」

 

 

外国人が地域と調和するために

日本全体でも労働者不足の問題がありますが、産業が集まる岩沼市にも外国人がどんどん入ってきているといいます。それには、国が入管法改正をして3年、5年、あるいは永住できるまで法律の枠を広げてきているという背景があるそうです。

「正直なところ、我々が外国人の受け皿として地域でどのような対応をすべきか、というのは全く分からないわけですよ。

言葉の問題、医療の問題、防災の問題、教育の問題、地域との調和の問題…。ゴミ出し一つにしたってそうです。様々な問題があり、頭を悩ませています。

しかし、この間、工業団地の近くの集落で夏祭りを開催したのですが、フィリピンでしょうか、たくさん若者が参加して一緒に盆踊り踊っていたんです。

そうやって地域と調和している姿を見て、その外国人がしっかりここに定着して、安心して働ける環境作りし、地域も受け入れ体制をしっかりしたいと実感しました。

だから今、企業と行政、国や県で情報を外国人の受け入れに関する情報を共有しましょうよ、と提案をしているところなんです。」

 

困りごとをみんなで解決するまちを目指して

岩沼市では、市民が安心して生活ができるよう、身の回りの困りごとを地域で解決できる仕組みを検討中。その一つとして「高齢者等ごみ出し支援事業」をスタートさせたそうです。

どのような狙いがあるのか、市長に伺いました。

コミュニティを大事にしなきゃと思っているんです。なぜなら、それを一番痛感したのが東日本大震災。被災した東部地区はコミュニティが強固でした。

農業や清掃活動、お祭り、色んなところで一緒に顔合わせてお酒を飲んだり、言い合いをしたりして暮らしてきた集落が6つあったんです。

それが震災で全滅してしまいました。その6つの集落の代表と話し合いをし、コミュニティを維持するため、玉浦西地区に集団移転することになったんです。

高齢者もいれば子供もいるのですが、地域でしっかり支え合うっていう構図を作ることが大事だと考えています。」

住民と話し合い、コミュニティを重視して集団移転を決定した菊地市長。それでも課題はまだあるといいます。

「集団移転地にみんなで入ったものの、高齢化率が岩沼全体より10ポイントも高いんです。

これでは一人ぼっちで家に居たら認知症にもなりかねしないですし、希望をなくして自殺する人も出てくるわけですよ。友達もいないし、自分の家もないし、楽しみもない…。

その問題をクリアするため、みんなで声掛けをしたり、町内でイベントをしたり、そういうコミュニティをしっかり作っておかないとダメだと思っています。

その一方で、隣人が誰だか分からない、そういう地区があるのも事実。でも高齢化してくれば、安否確認が必要なわけですよ。

高齢者の一人暮らしが1千世帯もあるので、中には200~300mのゴミ捨て場までゴミを持って歩けないっていう人もいるわけです。

そういうときに、隣の人が「一緒に持っていくよ」と一声をかけてあげられるような町を目指して、ゴミ出し支援をスタートさせました。」

 

市民と同じく企業も大事な存在

岩沼市は非常にアクセスが良く、東部道路、東北道、空港、駅、港、全て約30分で行くことができるという特徴があります。

産業面ではどのような方向性を目指しているのでしょうか?

「このアクセスの良さを利用して、物流系の企業を中心に企業誘致しているんです。

人口が減ると税収も減ってしまいますが、人口が減っても税収が下がらないような手を打っています。それが企業誘致なんです。

しかし、震災は多くの企業にダメージ与えました。

「ここは危険だ」「もう、ここは再起不能だ」など、岩沼から去ろうという企業もたくさんありました。

その時、私は“個人も大切だけど、企業も大切だ”と考えていました。

復興後、自分達の新しい住まいができても働く場所がないのでは生活が成り立たない。企業が撤退してしまうと新たに誘致することは更に難しくなる。今いる企業に留まってもらおうという作戦に出たわけですよ。

だから、企業の皆さんに「なんとかここに留まってほしい」「少しでも復興に手を貸してほしい」と話たところ、「通信施設を早く復旧してほしい」などの声をいただきました。それをいち早く実行しました。

そのため95%くらいの企業は残ってくれたんですよ。

おかげさまで、被災者の働く場にも繋がってるし、税収の維持にも繋がっています。」

 

岩沼市の目指す方向性

目指す方向性はやはり住みやすさ。

生活に必要なお店や医療、子育て、教育、そういった最低限のものにしっかり取り組んでいきたいと語る菊地市長。

「教育を充実させるということ、安心して子供を産み、育てるというこの2点を重要視しています。その次は高齢者。子供と教育とそして、高齢者の住みやすさに今後も力を入れていきます。

後は、人口減少への対応ですね。

今、4万4100人前後で横ばいを保っていますが、いずれ下がるでしょう。そういう時に行政側のサービスが低下しないようにしっかりやっていかなければいけません。

それが住みやすさにつながるんだと思います。

そのため、若者の定住や教育など、若者を中心にやっていきたいと思っています。」

 

震災を乗り越え、市民と共に復興の道を歩んできた菊地市長。市民の住みやすさのため、コミュニティづくりに挑戦する姿が印象的でした。貴重なお話をお聞かせくださり、誠にありがとうございました!

 

 

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監修 島越彩香 SAYAKA SHIMAKOSHI
宮城大学在学中に、一般社団法人MAKOTOでのインターンを経験。
2019年5月より、MAKOTO WILLに参画。PR・マーケティングチーム、アシスタント業務に従事。

 

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