首長インタビュー第8弾は宮城県岩沼市にお伺いしました。

動物や特産品の形ではなく、工業団地で働く真面目なサラリーマンをモチーフにしたマスコットキャラクター「岩沼係長」が印象的な岩沼市。

副市長に就任した年に震災を経験し、そこから市長に就任して復興へ力を注いできた菊地啓夫市長。

どのような想いを持って執務にあたっているのでしょうか?

インタビューの模様をたっぷりとお届けします!

 

[midashi]復興へ歩む中で市長に就任した想い[/midashi]

市役所職員を38年間勤め、2011年の1月に副市長に就任。直後に東日本大震災が発生し、そこからずっと復興に身を捧げてきたという菊地市長。

どのような想いで市長に立候補したのでしょうか?

[kubicho]「私は被災地の東部の出身です。副市長になって間もない頃から、被災の状況を見てこれは大変だ、何とか立て直したいという思いを持ち、副市長として一所懸命働いてきました。

当時は前井口市長と一緒にやってきましたが、震災からの復興はやはり大変だったので相当疲れておられた。私も支えてきましたが、前井口市長よりも若かったこともあり、「後任をやってほしい」と頼まれました。

正直なところ悩みましたが、震災の被災者を置いて二人で辞めるということは今までやってきたことが水の泡になってしまう。それだけは避けたいという想いで、市長に立候補しました。」[/kubicho]

 

[midashi]被災者の自立と心のケア[/midashi]

現在は落ち着きを取り戻しつつある被災地。震災時、南アフリカから支援をもらった恩返しに、今度は南アフリカのラグビーの試合に被災者の応援部隊を出すことが決まっているといいます。

その他にも、来年5月に開催されるオリンピックの文化事業「NIPPONフェスティバル」やオリンピックでの聖火ランナーなど、岩沼の被災地を舞台にしたイベントが目白押しです。

[kubicho]「震災から8年5ヶ月経ち、被災者が自立するためには自分で考えて参加するということが大事だと思っています。だから“オリンピックに応援に行く”という目標が必要なんです。

命令で人は動かないので、ある程度楽しみを交えながら、「面白そうだな、行ってみようか」と自発的な行動につなげたいと思っています。

そうすることで、震災から少し気持ちが離れると思うんです。」[/kubicho]

また、被災者の心のケアは、オリンピック以外にもあるといいます。

[kubicho]「元々東部の人達は農家が多く、米や野菜を作って自給自足的な生活をしているという側面もあったわけです。

ところが津波で畑も皆流されてしまいました。元居たところは全部市が買い取ってしまったため畑が無いんですよね。

 そこで今、障害を持った方々が野菜づくりや販売をしているので、被災者の方々がアドバイスして一緒に野菜をつくる体制を整えました。

誰かに頼られることが生き甲斐になりますから、それが心のケアにつながると考えています。このように、我々で色々仕掛けを考えているんです。」[/kubicho]

 

[midashi]市民の声が反映されるまちへ[/midashi]

岩沼市では、市民が市長宛に手紙を送ることができる「市長への手紙」という取り組みや、毎年の地区懇談会の開催など、住民の声を積極的に聞く機会を設けています。

どのような狙いがあるのか、市長に伺いました。

[kubicho]町をつくるのはやっぱり市民。市民の意向が反映されない町は良くないだろうと考えています。

毎年4~5月に地区懇談会やらせてもらうんですよね。

「今年はこういう取り組みをしますよ」という説明をした上で、町内会や自治会からの要望も出てきます。そのやり取りを大切にしたいんです。

とはいえ、色々な意見をいただきます。

道路をもっと伸ばしてくれ、ショッピングモールを作ってくれなど。

もちろん、100%意見を聞くわけにもいかないので、税金を使うのに相応しい事業なのか、本当に必要なのか、本当に効果が出るのか。それを私なりに判断をさせてもらって、実現するというやり方で進めています。

やはりそこが原点ですね。

そういった市長の手紙や懇談会を開くのは目的ではなく手段だというところに行き着くんです。役所を残すことが目的でもないし、市民の役に立たないとダメだと。基本的にはそう思ってます。」[/kubicho]