首長インタビュー第6弾は、宮城県大河原町にお伺いしました。

人口減少や少子高齢化に奮闘する自治体が多い中、人口も減らない、子どもの数も大きく減らない、税収も極めて堅調に推移して、財政調整基金も確保できているという大河原町。

齋清志(さい きよし)町長はどのような想いを持って執務にあたっているのでしょうか?

前編では、町長に立候補したきっかけやそれに至るまでのストーリーについてお送りします。

 

薬学の道から青年会議所へ。商業を切り口としたまちづくりに没頭。

 

「25歳になったら会社をつくる」

その目標通り、大学で学んだ薬学の夢を実現させて有限会社サイ薬局を立ち上げ、当時は薬剤師として生きていくはずだった齋町長。

しかし、青年会議所との出会いをきっかけにその夢は変化していったそうです。

 

「青年会議所に入り、商業を切り口としたまちづくりに没頭していました。

住民には自分たちの住んでいる地域を、買い物でも映画を観るでも何でもいいので、”楽しい”、”賑わいが心地良い”と感じてもらいたい。

そして、皆が積極的にまちに関わり、住民の意識を高めていく。

それが、まちの可能性を高めていくことに繋がるだろう、と。

そのために商業施設「FORTE(フォルテ)*」を大河原町内につくろうと立ち上がりました。」

 

*FORTE(フォルテ)・・・ファッション、グルメ、雑貨、アミューズメントなどが揃う大河原町の大型ショッピングモール。最近では映画館や体験型スポーツテーマパークなどがオープンし話題を集めている。

 

フォルテ完成までの長い道のり

 

商業施設をつくるためには、いくつものハードルを越えなければならなかったそうです。

町の方針と整合性を持った事業である、という評価をもらわないと商業開発ができないからです。

 

「ショッピングモールをつくるのに、関係する課は町役場で8課、県庁では28課ぐらいあるんですよ。

それはもう毎日、薬剤師の仕事をしないで役場や県庁に通っていました。

あまりに通っているので、役場の職員だと勘違いされるくらい。

当時、土地区画整理事業に乗っかって進めていくことが前提だったので、当時の町長にはもう頻繁に会いに行っていました。

商業を切り口としたまちづくりが、何でうちの町に必要なのか。

住民へのアンケート結果を見ても、「住民は商業を必要としている」ことがわかるじゃないですか。

町長がやらないなら私に任せてください、という話を散々してご理解いただいて。」

 

最終的に、整合性を保った事業であるという評価をもらい、フォルテの事業を前進させることができたそうです。

 

 

金も力もなにもない。後押ししてくれたのは役場職員と町民の皆さんだった。 

 

町や県へのハードルを越えても、他にも課題はたくさんあったそうです。

 

「当時、事業のスタートは36歳ぐらい。金も力もない、本当に持てるものもない集団だった

特に資金調達は苦労を重ねた。

”時は金なり”という言葉の通り、時間が経てば経つほどお金がかかってしまう。

5年でやらなきゃお金続かないと言いながらやってきた。

民間の金融機関にも毎週足運んでね。もう来るなと言われる寸前まで。」

 

最終的に資金調達でき、なんとか短縮して5年以内に事業を完遂することができましたが、6年、7年かかっていたらフォルテはできていなかっただろう、と語ります。

 

事業を起こしていくために必要なのは、町の理解と町民からの後押し

当時、役場職員の皆さんも本当に協力的でしたが、最後にフォローの風を吹かせてくれたのは町民の皆さんだったと思っています。

もう、ここに住んでいる人の顔がね、十分分かるぐらいに町内を駆けずり回りました。

土地取得だって、普通地権者の皆さんはこんな若造にね、土地を売ったり貸したりなんて簡単にしてくれるはずがない。

資本金積み上げて3千万、5千万の会社作ったって、それが何だって言われたこともありました。

だから、もう本当に通って通って。

朝早くに行って昼ご馳走になって晩ご飯までご馳走になって。で、また明日来ますって。

そういうことが何度もありましたね。」

 

 

町長立候補へと背中を押した、奥さんの言葉

 

フォルテの建設のため役場へ通い詰めていたある時、当時の町長が倒れてしまいました。

病室に呼ばれ、命が危ないかもしれないと覚悟を持って行ったところ、そこで言われたのはあまりにも想定外のことでした。

 

「俺のあと、町長をやってくれないか。」

 

その場で返事はできず、「びっくりするような話でさ」と奥さんに相談をしました。

すると、奥さんからも衝撃的な言葉が返ってきたのでした。

 

「あなたが自分の店や会社よりも力を入れてやってきた商業を通したまちづくりの仕事は、ここで暮らす人たちを相手に仕事をするということ。

それは役場の仕事と同じなんじゃないの?」

 

「なるほど、それなら真剣に考えてみなければいけない」と考えを改めた齋町長。

フォルテの建設にあたって力を貸してくれた人たちにも相談をし、その1週間後には立候補を決断したそうです。

 

後編に続く。